クリスマス? 知らない子ですねえ
今年は年始年末に会社で大きなイベントごとがあり、慌ただしい。
実質11連勤マラソン中なので、「クリスマス? 知らない子ですねえ」とつぶやきながら今日も会社に行った。
そんなわけで、家族のひとりから、クリスマスなのにケーキもないから買ってほしい、去年は買ってきてくれたじゃないと恨み言を言われてげんなりした。
正直クリスマスどころではなく、家族は私以外にもいるのに言いやすい上に一番買ってくる確率の高い私に言うのでときどき疲れる。
家族というものは本当に難しい。
なまじ距離が近い分、ときどきものすごく疲れてしまう。
元旦には毎年親戚が我が家に集まってきていたが、来年の元旦はそれもなくなった。
私の家は田舎の農村の一族なので正月は恒例行事であったのだが、親戚の高齢化と、いとこたちは皆それぞれ結婚し家庭を持ったことで、自分の実家や結婚相手の実家に行くのに忙しいのだろう。
私が子供の頃は秋の村の祭り、年末の餅つきにも親戚が集まってきていたが、それも何年も前になくなり、元旦にも集まらなくなる日がくるのだろうなとおぼろげには感じていた。
いよいよその時が来た。
クリスマスは家族や親しい友人や恋人と楽しくすごすという、そんなささやかな幸せがうらやましい。
いとこや友人たちもどんどん結婚し、新しい家庭を築いていく中で、取り残されている気分になる。
隣の芝は青く見えるが、その芝を美しく青く保つための労力ははたからは見えにくい。
幸せの陰では苦労や困っていることや悩みも当然あるに違いない。
誰もが頑張っている中で、結婚や家庭を得るために特に何も努力もしていない私が何も得ていないのは当然であり、人をうらやましがるのは都合がよすぎるのではないか?
というようなことを、近況報告ついでに友達につらつらと語ったところ、「YOU もっとほしがっていいんだYO!」(原文ママ)と言われたので、目からうろこが落ちるかと思った。
ほしがる前から諦めずに、まずはほしい!と認識して意思表明してもいいと言ってくれた。
もちろん、ほしいと言ったからといって手に入るわけではないが、そこで一つの分岐点が生まれて、可能性が一つ広がるのだろうなと、そういうことを思った。
究極的には私は自分が人から大事にされるだけの価値がある人間や女だとは思えず、素の自分を出したら受け入れられずにひどいことを言われるかされるのではと考えて怖くなってしまい、いろいろと言い訳をして、ある程度距離が近くなると逃げ出してしまう。
そして「自信がない」というのは自分が傷つきたくないから貼っている予防線であり、自分本位の考え方で相手にフォーカスしていないという指摘はぐっさり突き刺さるものがあった。
自己評価の低い人間は害悪だという人もいるし、責める人もいる。
だけどすべての人がそうであるとは限らないし、人のことをちゃんと考えて力を貸してくれる人も世の中にはたくさんいるのである。
だけど、いつまでも友達たちの優しさに甘えていてはいけない。
腹をくくって人とかかわる勇気を出さなくてはなにも変わらないという、もう何度か出した結論にまたたどり着き、年も改まるのだから少しでもいいほうに変わっていこうと、そんなことを考えた。
そして、年が改まったら、拾った猫を里親になってくださる方にお渡しする準備が待っている。